戻る
◆ 回顧、水ビジネス入門2005/08/03 (Wed)

 少し、昔の話に触れたい。私が心酔していた役員が、ある関連企業の代表取締役として転籍する事が決まった。関連企業と言っても売上げ規模が4,000億円の大手企業の代表になる。普通の感覚では、祝い事と思うが、転職はつらい事のようだった。慣れない会社で働くとので、気晴らしに時々食事に誘われた。『困まったら応援に行きます。』と言っていた話が具体化し転職する事になった。当時、私は、技術開発の事務局で企画と技術広報を担当し、技術開発の中身を凡そ理解できたので、同じ業界なら転職しても自信があった。寧ろ若さも手伝い、希望に溢れて転職した。6年間、その会社で働く事になるが、私を直々に会社の代表が採用を指示したので、社内は扱いに窮していた。私の実力を測るのと、特性を見るべく、人事課長立会の下で、社内の若手有望株と面談して、技術論議繰り返し行なった。虐待にも似た行為だったが、論議を通じて力が備わったと思う。39歳、新天地で無我夢中で働いた。仕事は、仕事を生み、規模が膨らみ、新規事業の話題が新聞報道されだした。数々の成果を挙げたが、本業と新規事業の対立が深まり、独立する方向に進んだ。当時は新規事業の言葉が踊った次代で、独立すると味の素さんや、富士レビオさん、日本鋼管さんからコンサルタントの仕事を戴いた。海外の経験が長かったので、アメリカを度々訪れて、貿易の仕事も手掛けて、数多くのベンチャー企業の経営者と会った。一時期、私の会社で働いていたインド人の友人宅を訪問した。彼はシリコンバレーの有名人である。バークレ大学で学位をとり、シンガポール政府の半導体の会社の社長になったり、多彩な才能の持ち主で家はシリコンバレーの高級住宅街にあった。今では開発されて無くなったが、近所に小さなスーパーがあって、インドの食材に興味があったので良くその店に行った。ある日、駐車場で自販機を使って水を買う黒人の姿を見た。水の自販機を作れば、水の仕事が出来るかも知れないと思った。前の会社で働いていて、アメリカで半導体の会社を経営していた時に、超純水を知り、興味を持ったが、難しく感じて断念した経緯があった。自販機の技術を学べば、水処理のシステムが習得出来ると思い、友人と二人で、自販機の会社を訪問した。今日、日本中に水の自販機が大型スーパーに置かれ、普及したが、アメリカの自販機を調査して、当時から、日本でも将来普及する仕事と確信していた。砂漠の中に、コンテナー風の建物と簡単な組立工場があった。社長は自然派の好青年で、自販機を買い日本でビジネスをしたいと申し入れた。彼は、怪訝な顔をして輸出は難しい。日本人は優秀ですぐに機械を作るのでと警戒された。今の中国や韓国と同じで、すぐにコピーをする時代であった。中国人や韓国人が直ぐにコピーすると批判をよくするが、日本人も過去には同様の批判を浴びた。当時、日本には水の自販機は一台も無かった。法律に触れる仕事で、リスクがあった。それと、お金を出してまで、日本人が水を買う習慣がない。20台を購入したら輸出をすると言うが、2,000万円の資金が必要になるが、大金を投入して全てを失う可能性も高い。身近な人に尋ねても意外と水に無関心だった。調べると飲料水の規制の壁は高く、幾ら勉強しても難かしい問題があるが、私の様な落ちこぼれの人間は人がやらない仕事を考える以外にチャンスは訪れない。そこで、社会的に有名な会社を選び声をかけた。市光工業の子会社で市光ネクスト、新宿に本店がある建設業界では高名な佐藤秀、TDKの創業に参加した、小林工業にプロジェクトの参加を呼びかけた。自販機のプロジェクトは素早く完成した。各社、自販機の購入と製作費を集め、一度に汲む水量を1ガロンと決めたり自販機の販売価格の市場価格も決めた。その時の価格が今でも一律に他社に受け継がれた。後に石油業界の矢野新商事も参入し、体裁は整った。日本で初めて自販機を使った初飲み会を新宿の佐藤秀工務店のロビーで行った。後に、我々のプロジェクトが挫折し、この会の話は公には語られていないが、今日自販機が庶民の生活に欠かせない存在になるスタートであった。この仕事の敗因は、資金をリース契約に頼り過ぎたと思う。名だたる会社がプロジェクトを作りビジネスを開始したので、リコーリースが全面融資を引き受けた。規制の壁があって金融機関から資金の融資を受けるのが難しかったがリコーの役員が協力してくれた。この安易な資金が計画を挫折に追いやってしまった。当時は保健所の監視も厳しく、法律違反の機器と名指しされて強制轍去を命じる担当者もいた。プロジェクトに参加した企業は法律違反の指摘に弱く、逃げ腰しになった。会社は止めても倒産しないが、私は倒産するので、懸命にプロジェクトから脱落しそうな会社を説得した。保健所と大論戦が続き、この経験から次第に法律にも詳しくなり、公的機関と冷静に話しあった。青戸の駅の近くに自然食品の店舗がある。今でも健在で、店主は上品な下町の肝っ玉母さんである。御主人は花粉症に悩んでいた。そこに水の自販機を置いた。健康の為であったが、偶然、テレビ局のレポーターが近所を取材していて、自販機を目にした。彼女はアメリカに留学中に水の自販機を使っていた。アメリカでは日常使っていたが、日本で見て、急遽取材をした。放送されると、各地から問い合わせが来て、私は反響の大きさに不安が広がった。翌朝、店のシャッターが開くと、背広姿の人物が店の前に立っていた。保健所の人だ!『この機械を強制轍去する』と命令し運搬用の車両を用意して来た。放映されて、朝一番のお客が保健所の職員だった。私がプロジェクトの責任者として保健所や東京都の関係部局と何度も交渉を重ねたが、飲料水では許可できないと頑固に主張された。しかし、交渉を重ねてお互いに信頼感が出て、調理水の使用で承認されてビジネスが出来る目処が着いた。やっと、法的にクリアー出来たが、プロジェクトの参加企業の意欲は薄れていた。市光ネクストはプロジェクトを降りた。自販機を大量処分し、破棄した。プロジェクト全体で数億の損失になった。儲けたのはリース会社だけだった。私も全てを失しなうが、水の仕事は続けた。

 それから純水装置の開発に力を移し、やがて、超純水製造装置の開発に繋がった。私は自販機の仕事で多くの教訓を得た。信用と友人を失い、挫折を体験するが、去って行った友人は真の友人ではないと思うのが無念だった。ビジネスの友は仕事で負けると全てを失う。多くの仲間と友人達が去って行ったが、私は倒れても倒れても健在だった。しかし、物好きな性格が幸いした。『インターネット』である。昔、メキシコに近い田舎町の工場でインターネットを体験した。日本の展示会の情報が検索できた。アメリカではビジネスに使われていたが、日本ではまだコストの高い通信手段だった。日本に帰り、インターネットの導入を決めた。当時は、知識も乏しいのに一流の機械を購入して数百万円を懸け、サーバーまで買い揃えた。NTTの専用回線が月額数十万円もした時代で大きな投資であった。少し余裕が有ったので遊び心の投資でもあった。以来10年程経って、インターネットは大きな戦力として、産業機器の販売をウエブサイトで展開している。次々と新機種を生み出したが、色々投資したがインターネットは成功した。東京から離れ新浦安と、つくば市に拠点を移した。インターネットの活用で、生活と仕事が楽になった。新浦安は、羽田や成田空港には便利。つくばも政府の研究機関が多くてアクセスも便利だ。日常は病院と、営業で忙しく、仕事も軌道に乗り出している。思い返すと平成14年に突然体を壊した。救急車で病院に運ばれた。応急手当てで人口透析を受け生き延びたが、その時に透析で使う中空糸膜を見て、強く興味を持った。死の淵に至っても頭と心は健康だった。このフィターを製造出来れば有望な仕事になると確信した。好奇心を超越した新しい商権であった。そこで、病院から水野に直ぐに調査を依頼した。調査の結果、小型のサイズは競争が激しく大変難しいと報告があった。しかし、大容量の大型膜は値段が高くて簡単には買えないと分った。大型を開発しよう! 二人で決めた。私は運があって、倒れても、倒れても起き上がる。大概の物は欲しいと思うと手に入る。一部半導体の製造に膜が使われているが、汎用には使われていない。韓国の市場も調べたが、無い。中国は水が少ないので、使われているが一部で高い。努力する価値はある。市場をつくればビジネスに勝機が見える。いろいろと生産手段を考えてみた。計画と形状を調べてメーカーに打診をしたが、反応は鈍かった。そんな時、韓国に素材の原料を作るメーカーから素材の営業が来た。あれから本格的に開発に取り組み2年が経った。膜の新しい市場は井戸水浄水に絞り、自然を相手にする浄化機器を製作した。以前は井戸水の浄化はすぐに詰りメンテナンスが欠かせないものだった。水道水の浄化は河川の水を自治体が、広大な敷地と莫大な資金を投じて処理している。井戸水は、沈殿濾過をしないで、直接濾過するので、フイルターは直ぐに目詰まりします。やむなく、砂濾過を使い詰りを予め無くすのに、砂の粒状を粗くし濾過して誤魔化しているに過ぎません。膜のフィルターを使うと数ミクロンの穴で浄化するので、不純物は粗、除去できます。詰まると洗浄もでき、繰り返し使えるので井戸水には有効です。浄化装置もコンパクトになり、井戸水の浄化には最適な装置です。膜技術は我ながら驚いています。

 物づくりは何とかなりますが、市場開拓は、膨大な資金と時間が必要になります。ここ数ヶ月だけでも1,000万円ほど関連の部品の購入費が必要になりました。利用者が増えるにつれ、感謝の声が増えて来て励みになっています。仕入れも大量購入しました。情報が増えて、膜フィルターの仕事から成果が出始めました。取引関係も増えています。間もなく膜を活用した最新の水の自動販売機の開発も完了します。7月20日に試運転を行いました。韓国の半導体の技術者達と共同で電源と制御盤を開発しています。